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横浜地方裁判所 昭和56年(行ウ)10号 判決

原告

千葉正篤

被告

松田公共職業安定所長伊藤義雄

右指定代理人

真島吉信

(ほか七名)

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

1  被告が、原告に対し、原告の失業給付に関して、昭和五六年四月三日付でした雇用保険における失業給付の支給停止処分及び返還命令処分を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

1  本案前の申立

(一) 本件訴を却下する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

2  本案の答弁

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和五五年三月二一日より同年九月二〇日までの間株式会社日立製作所神奈川工場(以下「日立神奈川工場」という。)に六か月間の季節従業員として雇用され勤務した者であるが、同年九月二〇日をもって右雇用関係が終了し、同年一〇月一五日から同年一一月四日までの雇用保険法による基本手当金の支給を受けたところ、被告は、原告に対し、昭和五六年四月三日付で、昭和五五年一一月五日から雇用保険における失業給付を支給しない旨の処分及び同年一〇月二一日から同年一一月四日までの基本手当の支給処分を取消し、その金額七万四七〇〇円を返還するよう命ずる処分(以下「本件処分」という。)をした。

2  原告は、本件処分の通知を昭和五六年四月五日か六日ころ受けたところ、これを不服として、同年五月三〇日神奈川県雇用保険審査官に対し、口頭で審査請求をしたが、同審査官はこれを放置した。

したがって、原告には労働保険審査会の再審査請求に対する裁決を経ないことにつき正当な理由があるから、行政事件訴訟法八条二項三号の規定により、本件訴は適法である。

3  しかしながら、本件処分は違法であるのでその取消を求める。

二  本案前の申立の理由

雇用保険法七一条は、失業給付に関する処分又は返還命令処分の取消の訴は、当該処分についての再審査請求に対する労働保険審査会の裁決を経た後でなければ提起することができない旨規定している。

ところで、被告が原告に対して本件処分を行ったのは昭和五六年四月三日であり、右処分の通知書はそのころ原告に送達されているから、原告は、右通知書を受領した日の翌日から起算して六〇日以内に審査請求をしなければならないところ(労働保険審査官及び労働保険審査会法(以下「労審法」という。)八条)、右期間内に適法な審査請求をしていない。

したがって、本件訴は、本件処分についての審査請求に対する雇用保険審査官の決定並びにこれに対する再審査請求に対する労働保険審査会の裁決を経た後に提起されたものではないことが明らかであるから、雇用保険法七一条及び行政事件訴訟法八条一項但書の規定に照らし、不適法な訴として却下されるべきである。

三  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2のうち、原告が再審査請求に対する裁決を経ていないことは認め、その余の事実は否認する。本件訴が適法であるとの主張は争う。

3  同3の主張は争う。

四  被告の本案の主張(本件処分の適法性)

1  原告は、昭和五五年九月二〇日、日立神奈川工場を退職し、同年一〇月八日、松田公共職業安定所(以下「松田職安」という。)に出頭して求職の申込をし、離職票を提出して受給資格の決定を受け、更に同年一一月五日の失業認定日に松田職安に出頭し、同年一〇月八日から同年一一月四日までの期間について失業の認定を受け、七日間の待期期間(雇用保険法二一条)を除く同年一〇月一五日から同年一一月四日までの分の基本手当金一〇万四五八〇円の支給を受けた。

2  しかして、原告は、同年一〇月二一日から株式会社日立製作所小田原工場に雇用され失業していないにもかかわらず、前記同年一一月五日の失業認定日に松田職安に出頭した際、右雇用の事実を申告せず、失業認定申告書を提出して、同年一〇月八日から同年一一月四日まで失業していた旨の申告をした。

3  右の原告の行為は、雇用保険法三四条一項及び三五条一項の各規定にいう「偽りその他不正の行為により」失業給付又は基本手当の支給を受けた場合に該当するものであるから、被告は、昭和五六年四月三日付で、右各規定に基づいて本件処分をなしたものである。

したがって、本件処分は適法である。

五  被告の本案の主張に対する認否及び原告の反論

1  被告の本案の主張1及び2の事実は認める。

2  同3の主張は争う。

3  原告は、昭和五五年九月二〇日、日立神奈川工場を退職し、翌二一日以降失業していたにもかかわらず、被告は、同日からの失業の認定をせず、同日から同年一〇月一四日までの失業給付を支給しなかった。しかしながら、以下の理由によって、失業の認定及び失業給付の支給は、失業の開始日まで遡及すべきであり、かつ、原告の就職の不申告は、被告の右行為に対応するものであり、もし被告において、失業の認定を原告が失業した日まで遡って行っておれば、原告の右不申告は生じなかったのである。

したがって、原告の就職の不申告は、被告の前記不支給行為に対する正当防衛にも比すべきものであって、雇用保険法三四条一項及び三五条一項の各規定にいう「偽りその他不正の行為により」失業給付又は基本手当の支給を受けたものというべきではないから、右各規定に該当するとしてされた被告の本件処分は違法である。

4  雇用保険法及び同法施行規則を通覧してみても、失業の認定を、被保険者が現実に失業をした日に遡って行ってはならないとの規定は存しない。

このように失業の認定を失業の開始日に遡及して行ってはならないとの明文を欠くときは、国と労働者を形式的にも実質的にも比較衡量した場合強者である国が立法の欠缺による不利益ないし負担を負うのが当然であり、また、憲法二五条及びこれを受けた雇用保険法により、失業給付を受けるのは労働者の権利として認められるのであるから、主観的、情緒的な判断を伴う労働の意思、能力等の有無の判断を行政機関に委ねることは許されず、更に雇用保険法の主たる目的が労働者の生活の安定を図ることにあることから、失業の認定は、被保険者が現実に失業した日に遡及して行うのが合理的である。

六  原告の反論に対する被告の再反論

1  雇用保険法によれば、基本手当の支給を受けるためには、離職後管轄公共職業安定所に出頭して求職の申込をし、受給資格の決定を受けた後、所定の失業の認定日に管轄公共職業安定所に出頭し、失業の認定を受けることが必要である。すなわち

(一) 基本手当の支給を受けようとする者は、離職後、公共職業安定所に出頭し、求職の申込をしたうえ離職票を提出しなければならない(同法一五条二項、同法施行規則一九条一項)。

(二) 公共職業安定所長は、受給資格者に対し、離職後最初に出頭した日から起算して四週間に一回ずつ直前の二八日の各日について失業の認定を行う(同法一五条三項)。

(三) そうして、同所長は、受給資格者が失業していることについての認定を行った日について基本手当を支給する(同法一五条一項)。

このように、失業の認定及び基本手当の支給は、離職後最初に公共職業安定所に出頭し求職の申込をした日以降について行われることとされ、求職の申込がなされる前の期間について、失業の認定を行うことはできないのである。

2  また、同法二一条は、基本手当は、離職後公共職業安定所に出頭し、求職の申込をした後、失業の期間が七日経過するまでは、支給されない旨規定している。

第三証拠(略)

理由

一  本案の判断に先立ち、本件訴が雇用保険法七一条所定の審査請求前置の要件を充たす適法な訴であるかどうかについて検討する。

1  同法六九条一項、七一条によれば、失業給付に関する処分又は同法三五条一項の規定による処分の取消の訴は、当該処分についての再審査請求に対する労働保険審査会の裁決を経た後でなければ、提起することができないとされている。

原告が本件処分について労働保険審査会の裁決を経ていないことは当事者間に争いがないところ、原告は、行政事件訴訟法八条二項三号に定める「裁決を経ないことにつき正当な理由があるとき」に該当する旨主張するので、この点について判断する。

2  まず、原告が、本件処分につき審査請求をしたかどうかについて判断するに、(証拠略)を総合すると、

(一)  原告は、昭和五六年五月三〇日、本件処分に対する不服申立をする意図で、神奈川県労働部雇用保険課の事務室に赴き、来意を告げて、係員から同事務室中の奥まった一角にある審査官室を教えられ、同室で執務している神奈川県雇用保険審査官(以下「審査官」という。)を訪ね、審査官森山邦幸(以下「森山審査官」という。)と約一時間にわたって面談したこと、

(二)  その際、まず原告は森山審査官に対し、失業給付の停止と支給を受けた基本手当の返還命令の処分の通知を受けたが、不服申立のために伺った旨話したこと、

(三)  そうして、面談のなかで、原告は、森山審査官に対し、なぜ離職票が離職した日に交付されないのか、また、失業給付は、離職した日から公共職業安定所に出頭した日までの間も支給すべきであることなど本訴において主張するのと同趣旨の理由を繰り返し主張し、したがって本件処分は承服できない旨述べたこと、

(四)  これに対し、森山審査官は、原告の指摘する点はいずれも立法論としてはともかく現行制度上は適法でありいかんともし難いこと、また本件処分は形式的にも整っており不服申立の理由は見当らないことをこれまた繰り返し説明したこと、

(五)  右のような議論が続く中で、原告は、森山審査官に対し、本件処分の通知書を見せたこと、

(六)  原告は、前記の主張が受け入れられなかったので訴訟を提起するのもやむをえないと考え、森山審査官との面談を終えるにあたり、同審査官に対し、本件処分については訴訟を提起することにするので裁判所の所在地を教えてほしいと尋ねたこと、

以上の各事実が認められ、右認定に反する(人証略)はにわかには信用することができない。

これらの事実並びに審査官は専ら失業給付に関する処分又は雇用保険法三四条一項、三五条一項の規定による処分に対する審査請求の審査機関であること(労審法二条二項)及び審査請求は口頭でもなしうること(同法九条、同法施行令五条)にかんがみると、原告は、審査請求期間内である昭和五六年五月三〇日に森山審査官に対し、口頭で、本件処分に対する審査請求をなしたと認めるのを相当とする。

なるほど、原告が森山審査官に対して主張した内容は、本件処分の具体的な瑕疵を攻撃するものではなく、むしろ雇用保険制度自体に対する非難に近いものということはできるが、原告の主張が本件処分と全く無関係な立法論ないし制度改革論に終始していたものでもないことが(人証略)により認められるのであるから、右の原告の主張内容から原告の申立を審査請求ではないと速断することは許されないというべきである。もちろん、審査官は、処分に対して不服を申し立ててきた者に対し、その不服の理由が法規の単純な誤解に基づくものであり全く理由がないような場合には、それが誤解である旨を説明し、不服申立の撤回を説得することができるし、そうすべきものであろう。しかしながら、審査官の説得にもかかわらず、どうしても相手方において納得しない場合には、これを審査請求として処理するほかはないのであって、いかに不服の理由がそれ自体として失当であるとしても、これを審査請求とみないで放置することが許されないことは、前記の審査官の職務内容に照らし明らかというべきである。

3  次に(人証略)によれば、森山審査官は、右に認定した原告の申立を審査請求とはみず、審査請求としてとりあげることなく放置したこと、またそれ故当然に労働保険審査会に対する再審査請求ができる旨の教示をしていないこと、原告は大学院において労働法を専攻したことがあり、法律的素養はあるものの、雇用保険法における不服申立制度についての具体的な知識はなかったことがそれぞれ認められる。これらの事実に照らすと、原告は本件処分について労働保険審査会に対し再審査請求をし、これに対する同審査会の裁決を経ることなく本件訴を提起したものであるが、右の裁決を経ないことについて原告には正当な理由があるものというべきである。

したがって、本件訴は適法である。

二  次に、本案について判断する。

1  請求原因1並びに被告の本案の主張1及び2の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

2  右の事実によれば、原告は、昭和五五年一〇月二一日以降就職しているにもかかわらず、同年一一月五日の失業認定日に、同年一〇月二一日以降も失業している旨虚偽の申告をしているのであるから、雇用保険法三四条一項、三五条一項の規定にいう「偽りその他不正の行為により」失業給付又は基本手当の支給を受けた者に該当する。したがって、右の各規定に該当するとしてなされた本件処分は適法である。

3  ところで、原告は、失業の認定、失業給付の支給は、失業の開始日から行われるべきであるのに、原告に関しては、右の日に遡って失業の認定、失業給付の支給がなされなかったのであり、原告の就職の不申告は、右被告の不支給行為に対応するものであり、いわば正当防衛にも比すべきものであるから、本件処分は違法である旨主張する。

しかしながら、雇用保険法一五条一項の規定によれば、基本手当は、受給資格者が失業している日(失業していることについての認定を受けた日に限る。以下同じ。)について支給することとされているが(同法二〇条一項、三〇条も、基本手当は、失業している日についてないしは失業の認定を受けた日分を支給する旨規定する。)、この失業の認定に関しては、失業の認定を受けようとする受給資格者は、離職後、公共職業安定所に出頭し、求職の申込をしなければならず(同法一五条二項)、失業の認定は、求職の申込を受けた公共職業安定所において、受給資格者が最初に出頭した日から起算して四週間に一回ずつ直前の二八日の各日について行うものとする(同条三項)とされている。

これらの規定によれば、基本手当受給のためには、失業の認定を受けることが要件とされ、その失業の認定は、受給資格者が離職後最初に公共職業安定所に出頭し、求職の申込をした日以降の各日についてなされるのである。したがって、右各規定の反対解釈として右求職の申込日前の期間については、失業の認定を行うことはできず、それ故右期間につき基本手当の支給もできないものと解するのが相当である。

また、基本手当は、離職後直ちに支給されるものではなく、受給資格者が離職後公共職業安定所に出頭し、求職の申込を行った後、失業の期間が七日経過するまでは支給されない(同法二一条)。これは、労働者の生活の安定を図る等のため所得補償の必要があるといえる程度の失業状態にあるか否かを確認するためと、また失業給付の濫用を防ぐことのために設けられたものである。

以上によれば、雇用保険法は、受給資格者が離職後最初に公共職業安定所に出頭し、求職の申込をした日より前の期間については、失業の認定をせず、また、基本手当は、右求職申込後失業の期間が七日間経過するまでは支給しないとしているのであるから、雇用保険法の解釈としては、原告主張のように失業の認定を現実の失業開始の日まで遡及して認定することはできない。したがって、原告の主張は失当である。

次に、雇用保険法は、保険という仕組みを利用して、労働者が失業した場合に必要な給付を行うことにより、労働者の生活の安定を図るとともに、求職活動を容易にする等その就職を促進することを主たる目的とする(同法一条)ものである。そして、保険事故すなわち失業給付がなされるのは、労働者が失業した場合であるが、この失業とは、単に職に就いていないことをいうのではなく、労働の意思及び能力を有するにもかかわらず、職業に就くことができない状態にあることを要件としている(同法四条三項)のであるから、受給資格者が離職したからといって直ちに失業給付を受けられるわけではない。前示のように、雇用保険法が、失業の認定を受けようとする者は、公共職業安定所に出頭し、求職の申込をしなければならないとし、失業の認定及び失業給付の支給を右求職申込日前の期間については行わないとしているのは、右のような要件を具備した労働者の失業状態を給付事由としていること及び、右給付事由を明確にする必要があることによるのである。また、雇用保険も保険制度である以上保険経済をも勘案して必要な給付を行うのは当然というべきである。右に説示したところにかんがみれば、雇用保険法が求職の申込を失業の認定、基本手当支給の要件としていることをもって不合理な制度ということはできないというべきであり、もとより憲法二五条に違反するものでもない。

なお、原告は、労働の意思、能力等を行政機関に判断させるのは許されない旨主張するが、雇用保険法が前示のとおり労働の意思、能力等を失業給付事由の要件としている以上、右要件の有無の判断を職業紹介、職業指導、雇用保険等の事項について無料で公共に奉仕する公共職業安定所(職業安定法八条一項)に行わしめることは、その職務及び権限に照らし適当と認められ、合理的であるから、原告の右主張は理由がない。

また、たとえ支給されるべき失業給付が支給されなかったとしても、労働者はその不支給について争うべきであり、そのことにより、失業していないのに失業している旨の虚偽の申告をして失業給付を受けることが不正な行為でなくなるということができないのはいうまでもない。

ちなみに、原告は、雇用保険法三四条一項、三五条一項に定める「やむを得ない理由がある場合」に該当する旨の主張をしているとは解されない。

三  以上の次第で、本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小川正澄 裁判官 志田洋 裁判官 竹内民生)

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